昨日5月11日(土)は、
1日仕事を免除してもらい
一番下の娘の学校の総会に出席してきました。
鹿児島まで朝早く出発して
ついでにPTAの役員をしていましたので
歓送迎会にも出席してきました。
残念ながら、
次の日には、地元の楠浦小学校の運動会へ
呼ばれていたので、飲めませんでした(ToT)/~~~
運転して帰らないといけないのでface07

でも、先生方や、役員の方とお話ができて
とても楽しい時間を持てました。
皆さん役員とか嫌がる方が多いのですが
楽しいと思いますよbou12





娘から母の日にってもらったのが
保冷バックに入っていた
ノンアルコールのビールが2本とおつまみが一袋kimochi31
帰りの車の中で飲みながら帰る様にって
買っていてくれました(笑)
母思いの娘ですね~
これで、眠くならないようにってface03

プレゼント?
って思いましたが、嬉しかったです(^^♪
お陰で、11時ごろには無事家に帰り着きました。
  
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Posted by 光風  at 23:13Comments(6)家族

2013年05月12日

遅い



遅くなりましたが、
四郎の館
K師匠のワークショップで作らせて頂いた兜の貼り絵
です☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


かっこいい〜(_≧Д≦)ノ彡☆
書を添えてみました。

稚拙な字ですがface07




薫風自南来(くんぷうじなんらい)
長くなりますが、意味は以下のようなことです。


唐の文宗ぶんそう皇帝こうてい(840年没)が、


人は皆炎熱えんねつに苦しむ
我は夏日かじつの長き事を愛す

と起承きしょうの句を作ったのを承うけて、詩人である柳公権りゅうこうけん(856年没)が、
転結てんけつの句を作って一篇の詩といたします。

  薫風自南来
  殿閣微涼を生ず

世間一般の大多数の人々は夏の日のカンカン照りの厚さを厭いやがるけれども、
私はその夏の日が一年中で一番長いのが大好きである。
暑い暑いといっても、時折り、木立こだちを渡ってそよそよと吹いてくる薫風によって、
さしも広い宮中もいっぺんに涼しくなり、その心地よさ、
清々すがすがしさはむしろ夏でないと味わえないというわけです。
しかし約二百年後、宋そうの詩人、
蘇東坡そとうば(1101年没)は、
この詩には残念ながら為政者いせいしゃとして庶民への思いやりがない。
すなわち、風も通さぬウサギ小屋のような小さな家に起居し、
炎天下、農耕に、商売に精を出さねばならない一般庶民の苦しさを忘れて、
夏の長い日を広々として宮中で遊んで暮らせばよい皇帝の思い上がりの詩であると批評し、
当時の上流階級の人々への諷刺ふうしをこめて一篇の詩を作ります。


一たび居きょの為に移されて
苦楽くらく永ながく相忘わする
願わくは言わん此の施ほどこしを均ひとしくして
清陰せいいんを
四方しほうに分かたんことを


皇帝陛下は生まれながらにして広々とした宮中に住んでおられるので、
天下の人々が炎熱の中に苦しんでいるのに気がつかないのです。
どうか、もっと天下万民の上に思いを寄せ、
「薫風自南来、殿閣微涼を生ず」のような楽しみ、
安らぎを人々に分かち与えてこそ、皇帝ではないでしょうか。

この語が禅語として重用されるのは、この因縁話に関係ありません。
それは宋末の時代、臨済宗の公案こうあん禅――曹洞宗の黙照もくしょう禅に対するもので、
禅の問題すなわち公案を通して悟りに至らしめるもの――を完成した大慧だいえ禅師(1163年没)が
この語を聞いて大悟たいごしたといわれるためです。
大慧禅師は「薫風自南来、殿閣生微涼」の語を聞いて
何を感得したのでしょうか。
私たちは何かというと得失にこだわり、
利害にとらわれ、愛憎にかたより、善悪にこだわり、
迷悟めいごにとらわれ、凡聖ぼんしょうにかたよって、
右往左往する毎日です。
しかし、それらの対立的観念を一陣の薫風によって吹き払ってしまえば、
こだわりもなく、とらわれもなく、かたよりもない、
自由自在なサッパリとした清々しい涼味りょうみを感じることができます。
そのカラッとした、一切の垢[あか]の抜け切った
無心の境涯きょうがいを「殿閣微涼を生ず」と詠うたったのです。

臨黄ネットから拝借しました。

今度はどんなのかな?
楽しみにしてますよ~K師匠bou12


  
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Posted by 光風  at 18:33Comments(6)かたらんな